蔵前から未来を考える
明日を切り拓くデザインの力

アッシュコンセプトが本社を構える東京台東区蔵前に、各界からゲストをお招きして「未来を考える」トークイベント「Kuramae DESIGN HAUS(クラマエ デザイン ハウス)」。代表の名児耶秀美が直球で投げかける問いは、ときに、思いもよらない方向へと話を展開させます。日々の暮らしから地球規模の問題まで、さまざまな角度で交わされる対話は、デザインの新たな可能性を探るきっかけになるはずです。

編集・文 高橋美礼

蔵前から未来を考える 明日を切り拓くデザインの力

アッシュコンセプトが本社を構える東京台東区蔵前に、各界からゲストをお招きして「未来を考える」トークイベント「Kuramae DESIGN HAUS(クラマエ デザイン ハウス)」。代表の名児耶秀美が直球で投げかける問いは、ときに、思いもよらない方向へと話を展開させます。日々の暮らしから地球規模の問題まで、さまざまな角度で交わされる対話は、デザインの新たな可能性を探るきっかけになるはずです。

編集・文 高橋美礼

vol.3
山崎泰氏

Date

2024719日[金]18:30-19:30

Guest

株式会社JDN 取締役
山崎 泰さん

丹青社入社後、1997年に社内新規事業であるデザイン情報サイト「Japan Design Net(JDN)」立ち上げに参画。商品企画、顧客開発など事業化の中心的役割を担い、編集長、コンテストディレクターを経て現職。デザインに関する取材、トークや審査会のコーディネート実績多数。趣味はサックス演奏。
https://www.japandesign.ne.jp/

vol.3

Date

2024719日[金]18:30-19:30

Guest

山崎泰氏

株式会社JDN 取締役
山崎泰さん

丹青社入社後、1997年に社内新規事業であるデザイン情報サイト「Japan Design Net(JDN)」立ち上げに参画。商品企画、顧客開発など事業化の中心的役割を担い、編集長、コンテストディレクターを経て現職。デザインに関する取材、トークや審査会のコーディネート実績多数。趣味はサックス演奏。
https://www.japandesign.ne.jp/

Event Report

Kuramae DESIGN HAUSの第3回にお迎えしたゲストは、デザインとビジネスを結ぶウェブメディアの運営とコンテストの企画制作をするJDN(ジェイディエヌ)の取締役、山崎泰さんです。

山崎さんは普段、デザイン関連の見本市や展覧会を取材したり、審査会やトークイベントに参加なさったり、という活動で多くのクリエイターと接していますが、今回はビジネス面にフォーカスしたプレゼンテーションをご用意くださいました。テーマは「株式会社JDNにみる新規事業の始まり、これから」。山崎さんを含めて実働3人で発足した創業当時にまでさかのぼり、どのように主軸となるコンテンツが整ってきたか、その背景にまで話題は及びました。

1997年、空間づくりを手がける総合ディスプレイ業の大手である丹青社の新規事業としてスタートしたJDN。「Japan Design Net」という名前で9月にサイトを立ち上げて10月にサービスを開始しました。その後、12年間は丹青社のなかでインターネットメディアの広告販売やコンテストの企画制作といったマネタイズ方法の確立に努め、2009年に事業を子会社へ移管しました。2012年にはその子会社を株式会社JDNへと名称変更し、現在はインターネットメディア事業とコンテスト運営事業を2軸に運営しています。

メディア事業には、デザイン全般の情報をまとめる「JDN」、企業やデザイン事務所の求人を伝える「デザインのお仕事」、コンテストを告知する「登竜門」、教育機関にまつわる「デザインノトビラ」、の4メディアがあります。読者層はデザインやクリエイティブ関連で共通していますが、年代や各メディアへアクセスするモチベーションが異なることから、ひとつにまとめるのではなく専門特化させてきました。そしてもうひとつの軸であるコンテスト運営事業はその名の通り、新たな提案や作品を求めてコンテストが実施される際に主催者の裏方となって、たとえばTOKYO MIDTOWN AWARDやシヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティションなどいくつもの有名なコンテストに携わっています。

インターネットメディアのなかでもデザインコンテンツに焦点をあてて深掘りするJDNは、実際のところどのように継続されてきたのか? アッシュコンセプト代表の名児耶秀美から投げかけられた素朴な疑問は、後半のクロストークで詳しくお答えいただくことができました。その様子をダイジェストでお伝えします。

Event Report

Kuramae DESIGN HAUSの第3回にお迎えしたゲストは、デザインとビジネスを結ぶウェブメディアの運営とコンテストの企画制作をするJDN(ジェイディエヌ)の取締役、山崎泰さんです。

山崎さんは普段、デザイン関連の見本市や展覧会を取材したり、審査会やトークイベントに参加なさったり、という活動で多くのクリエイターと接していますが、今回はビジネス面にフォーカスしたプレゼンテーションをご用意くださいました。テーマは「株式会社JDNにみる新規事業の始まり、これから」。山崎さんを含めて実働3人で発足した創業当時にまでさかのぼり、どのように主軸となるコンテンツが整ってきたか、その背景にまで話題は及びました。

1997年、空間づくりを手がける総合ディスプレイ業の大手である丹青社の新規事業としてスタートしたJDN。「Japan Design Net」という名前で9月にサイトを立ち上げて10月にサービスを開始しました。その後、12年間は丹青社のなかでインターネットメディアの広告販売やコンテストの企画制作といったマネタイズ方法の確立に努め、2009年に事業を子会社へ移管しました。2012年にはその子会社を株式会社JDNへと名称変更し、現在はインターネットメディア事業とコンテスト運営事業を2軸に運営しています。

メディア事業には、デザイン全般の情報をまとめる「JDN」、企業やデザイン事務所の求人を伝える「デザインのお仕事」、コンテストを告知する「登竜門」、教育機関にまつわる「デザインノトビラ」、の4メディアがあります。読者層はデザインやクリエイティブ関連で共通していますが、年代や各メディアへアクセスするモチベーションが異なることから、ひとつにまとめるのではなく専門特化させてきました。そしてもうひとつの軸であるコンテスト運営事業はその名の通り、新たな提案や作品を求めてコンテストが実施される際に主催者の裏方となって、たとえばTOKYO MIDTOWN AWARDやシヤチハタ・ニュープロダクト・デザイン・コンペティションなどいくつもの有名なコンテストに携わっています。

インターネットメディアのなかでもデザインコンテンツに焦点をあてて深掘りするJDNは、実際のところどのように継続されてきたのか? アッシュコンセプト代表の名児耶秀美から投げかけられた素朴な疑問は、後半のクロストークで詳しくお答えいただくことができました。その様子をダイジェストでお伝えします。

山崎さんによるプレゼンテーションでイベントはスタート。JDNの設立から現在までを振り返りつつ、コンテンツ制作の裏側などもご紹介いただきました。

Cross Talk Digest

山崎さんによるプレゼンテーションでイベントはスタート。JDNの設立から現在までを振り返りつつ、コンテンツ制作の裏側などもご紹介いただきました。

Cross Talk Digest

山崎さんとアッシュコンセプト代表・名児耶秀美とのクロストーク。会場のみなさまにもご意見、ご質問をいただきました。

高橋
山崎さん、ありがとうございました。本日のファシリテーターを務めます、高橋美礼です。改めてよろしくお願いします。山崎さんとは以前から仕事やデザイン関連の展示会などでご一緒する機会が多かったのですが、今日はJDNの設立当時から27年間のお話をうかがうことができて新鮮でした。ここからは、名児耶さんや会場へお越しのみなさまからの質問にもお答えいただこうと思います。

名児耶
みなさんは、JDNがなにをしている会社か、わかりましたか? よく聞いてもまだわからない部分も多いですよね(笑)もっと突っ込んだ部分を聞きたいなぁ。コンテストの運営などでお金が入ってくるなっていうのはよく分かりますが、メディアの収入は広告で得ているということでしょうか。

山崎
そうですね。仕組みは特に複雑ではなくて、他のインターネットサイトと同じです。たとえば、ウェブページ上でバナー広告枠を売る、簡単に言うとそういうことになります。世の中のたいていのサイトが出しているネットワーク型の広告は使っていません。

高橋
JDNとアッシュコンセプトは、どちらもデザインをドライブしていく点では共通していますが、大きく異なる立場にあると言えそうです。JDNはモノを持たないメディアとしてインターネットを使って発信し、一方で、アッシュコンセプトは実体のあるものをつくり出しながらデザインの可能性を広げていく。名児耶さんは、ひとつの情報を工夫して伝えるJDNをどのように認識していらっしゃいますか?

名児耶
僕らは多分、デザインの“農耕民族”かなと。そして逆に言うと、JDNは“狩猟民族”と“農耕民族”が合体したようなところがあるんじゃないかと思いますね。

山崎
僕らの社内でも、狩猟とか農耕という言葉をたまに使うことがあります。で、名児耶さんのご指摘はその通りです。JDNにはふたつの事業がありまして、農耕タイプなのはメディアだと僕は思います。メディアって、一日、二日じゃできなくてですね、創業当時は「JDN? ジャパンデザインネット? 何だそれ?」という反応ばかりでした。いまは知っていただいていますので、そういうことはないですけれども……。つまり、そういった未開墾の畑や土地を一日も休むことなく耕し続けてきました。そして、新しい情報をいち早くみなさんに届け続けるというのがメディアとしての僕らの仕事です。だからそこは“農耕的”。かたや、デザインコンテストは、顧客が新たに開催したいという発意があって、そこに、「こういうことできますよ、『登竜門』を活用しましょう、確実に良質な読者にリーチできますよ」と運営しています。コンテストの方は仕事を積極的につくりに出る必要もあるので、ちょっと“狩猟的”なところもあります。

名児耶
やっぱりデザインにおいてはJDNのようなソフトが実存しないといけないよね。僕らみたいに耕しながら一生懸命ものづくりをして、それをみんなに伝えようとするとき、すごく頼りになる“仲間”です。さて、せっかくの機会なので、ここにいるみなさんも気になることがあれば質問をどうぞ。お、“狩猟民族”のデザイナーから手が上がりましたね!

プロダクトデザイナー 根本崇史さん
農耕? 狩猟? どちらですかね。今日はありがとうございます。
ミラノサローネやインテリアライフスタイル展のようなデザインの展示会に行くと、山崎さんは必ず会場にいらっしゃって僕もいろいろお話をさせていただいたりしていますが、その場では記事にするための取材をしている印象が、よく考えてみるとあんまりなくて。でも実際には記事にされているので、実作業をする別のメンバーの方がいらっしゃるのかどうか。

山崎
ありがとうございます。
いろんなパターンがありますね。基本的に僕はもう現場の編集や営業をしていません。今のスタッフたちが情報交換しながら動いています。僕が見て良かったと感じスタッフに勧めたり、スタッフが選んだものが僕が感じたものと同じだった、ということはありますね。例外として、海外の見本市取材などで動くことがあるのですが、僕がその場でスマホで撮った画像を記事に使うこともあります。今年のミラノデザインウィークの記事でも、いくつか使っています。見本市は来場者がいっぱいいて綺麗に撮れなかったりしますので主催者や出展者の広報写真を使わせて頂くことも多いです。もちろんフォトグラファーと共に訪問する場合もあります。文章については、話を聞いた後で陰でいろいろメモ取ったり、記憶をもとに忘れないうちに書くことが多いです。

名児耶
会場には森井さんもいらっしゃっていますね。なにか質問あれば、ぜひ!

立体造形家 森井ユカさん
いつもお世話になっております、森井です。私は長年、桑沢デザイン研究所で同窓会の役員と講師をしていたのですが、もう何十年も前からJDNと、山崎さんご本人にお世話になっています。今日、お話を聞いていて、果たして桑沢は山崎さんのためになっていたのだろうかと、すごく心配になってきました。本当に、いつもいらしていただいていたのになかなか聞くチャンスがなくて……。もしよろしければ、その当時のことを振り返っていただければと思います。

山崎
本当に、桑沢さんにはすごくお世話になっています。進行形でもお付き合いがありますし、ご心配はまったく不要です。とにかく、桑沢デザイン塾にはとてもお世話になりました。デザインのメディアをつくろうぜ、という最初の段階は全部ゼロ、コンテンツゼロ、読者ゼロ、顧客もゼロ。とりあえずウェブサイトとしてドメイン取って名前をつけたけど、中身をどうしようかと。メディアつくった経験者もいない、素人集団でした。それで、当時の取締役が、インテリアデザイナーで桑沢の所長もなさっていた故・内田繁さんと懇意だった縁で、僕も一緒に内田さんところへご挨拶に行きました。97年の夏です。それで、桑沢の同窓会が「桑沢デザイン塾」という、土曜日の夕方にデザインの第一線の錚々たる方たちを講師に招いたセミナーを始めるということで、その開催レポート記事をJDNが制作して掲載することになりました。そのセミナーがスタートしてから5年ぐらい、僕はほぼ毎週土曜日の夜は渋谷にある桑沢デザイン研究所にいました。だから、グラフィックを浅葉克己さんに教わり、インテリアを内田繁さんに教わり、ほかにもキラ星のようなデザイナーの方たちの講座をずっと聞いて、それを記事にするということをさせていただいていました。メディアとしても「桑沢デザイン塾」はコンテンツの主軸であったどころか、JDNが立ち上がることのできた、ひとつの重要なコンテンツ制作の機会をいただいたと思っています。僕自身、すごくそれでデザインに詳しくなりました。もう全部のジャンルで第一線の人たちが話をする、本当にすごい学びの場で、こちらこそお礼を申し上げたい気持ちです。

高橋
根本さん、森井さん、そして山崎さん、ありがとうございました。まだまだ皆さんのご興味は尽きないと思いますが、この後、山崎さんが特別にサックスを演奏してくださるということです! その前に名児耶さん、今日この時間を共有した蔵前のみなさまへ、もうひとことお願いします。

名児耶
やっぱり、人は縁のあるもの、ですね。山崎さんには出会った時から人柄に惹かれ、いつ話していても楽しい。たくさんの話を聞いてみると、JDNをしっかりと立ち上げて、日本のデザインの柱を担ってきたひとりだったんだということが、はっきりしました。いい仕事しようが、いいもんつくろうが、伝えてくれる人がいないと結局、ゴミを生み出しているようになってしまう……。その意味で、山崎さんのような存在は大事だと実感しています。ありがとうございました。

山崎さんとアッシュコンセプト代表・名児耶秀美とのクロストーク。会場のみなさまにもご意見、ご質問をいただきました。

高橋
山崎さん、ありがとうございました。本日のファシリテーターを務めます、高橋美礼です。改めてよろしくお願いします。
山崎さんとは以前から仕事やデザイン関連の展示会などでご一緒する機会が多かったのですが、今日はJDNの設立当時から27年間のお話をうかがうことができて新鮮でした。ここからは、名児耶さんや会場へお越しのみなさまからの質問にもお答えいただこうと思います。

名児耶
みなさんは、JDNがなにをしている会社か、わかりましたか? よく聞いてもまだわからない部分も多いですよね(笑)もっと突っ込んだ部分を聞きたいなぁ。コンテストの運営などでお金が入ってくるなっていうのはよく分かりますが、メディアの収入は広告で得ているということでしょうか。

山崎
そうですね。仕組みは特に複雑ではなくて、他のインターネットサイトと同じです。たとえば、ウェブページ上でバナー広告枠を売る、簡単に言うとそういうことになります。世の中のたいていのサイトが出しているネットワーク型の広告は使っていません。

高橋
JDNとアッシュコンセプトは、どちらもデザインをドライブしていく点では共通していますが、大きく異なる立場にあると言えそうです。JDNはモノを持たないメディアとしてインターネットを使って発信し、一方で、アッシュコンセプトは実体のあるものをつくり出しながらデザインの可能性を広げていく。名児耶さんは、ひとつの情報を工夫して伝えるJDNをどのように認識していらっしゃいますか?

名児耶
僕らは多分、デザインの“農耕民族”かなと。そして逆に言うと、JDNは“狩猟民族”と“農耕民族”が合体したようなところがあるんじゃないかと思いますね。

山崎
僕らの社内でも、狩猟とか農耕という言葉をたまに使うことがあります。で、名児耶さんのご指摘はその通りです。JDNにはふたつの事業がありまして、農耕タイプなのはメディアだと僕は思います。メディアって、一日、二日じゃできなくてですね、創業当時は「JDN? ジャパンデザインネット? 何だそれ?」という反応ばかりでした。いまは知っていただいていますので、そういうことはないですけれども……。つまり、そういった未開墾の畑や土地を一日も休むことなく耕し続けてきました。

そして、新しい情報をいち早くみなさんに届け続けるというのがメディアとしての僕らの仕事です。だからそこは“農耕的”。かたや、デザインコンテストは、顧客が新たに開催したいという発意があって、そこに、「こういうことできますよ、『登竜門』を活用しましょう、確実に良質な読者にリーチできますよ」と運営しています。コンテストの方は仕事を積極的につくりに出る必要もあるので、ちょっと“狩猟的”なところもあります。

名児耶
やっぱりデザインにおいてはJDNのようなソフトが実存しないといけないよね。僕らみたいに耕しながら一生懸命ものづくりをして、それをみんなに伝えようとするとき、すごく頼りになる“仲間”です。さて、せっかくの機会なので、ここにいるみなさんも気になることがあれば質問をどうぞ。お、“狩猟民族”のデザイナーから手が上がりましたね!

プロダクトデザイナー 根本崇史さん
農耕? 狩猟? どちらですかね。今日はありがとうございます。
ミラノサローネやインテリアライフスタイル展のようなデザインの展示会に行くと、山崎さんは必ず会場にいらっしゃって僕もいろいろお話をさせていただいたりしていますが、その場では記事にするための取材をしている印象が、よく考えてみるとあんまりなくて。でも実際には記事にされているので、実作業をする別のメンバーの方がいらっしゃるのかどうか。

山崎
ありがとうございます。
いろんなパターンがありますね。基本的に僕はもう現場の編集や営業をしていません。今のスタッフたちが情報交換しながら動いています。僕が見て良かったと感じスタッフに勧めたり、スタッフが選んだものが僕が感じたものと同じだった、ということはありますね。例外として、海外の見本市取材などで動くことがあるのですが、僕がその場でスマホで撮った画像を記事に使うこともあります。今年のミラノデザインウィークの記事でも、いくつか使っています。見本市は来場者がいっぱいいて綺麗に撮れなかったりしますので主催者や出展者の広報写真を使わせて頂くことも多いです。もちろんフォトグラファーと共に訪問する場合もあります。文章については、話を聞いた後で陰でいろいろメモ取ったり、記憶をもとに忘れないうちに書くことが多いです。

名児耶
会場には森井さんもいらっしゃっていますね。なにか質問あれば、ぜひ!

立体造形家 森井ユカさん
いつもお世話になっております、森井です。私は長年、桑沢デザイン研究所で同窓会の役員と講師をしていたのですが、もう何十年も前からJDNと、山崎さんご本人にお世話になっています。今日、お話を聞いていて、果たして桑沢は山崎さんのためになっていたのだろうかと、すごく心配になってきました。本当に、いつもいらしていただいていたのになかなか聞くチャンスがなくて……。もしよろしければ、その当時のことを振り返っていただければと思います。

山崎
本当に、桑沢さんにはすごくお世話になっています。進行形でもお付き合いがありますし、ご心配はまったく不要です。とにかく、桑沢デザイン塾にはとてもお世話になりました。デザインのメディアをつくろうぜ、という最初の段階は全部ゼロ、コンテンツゼロ、読者ゼロ、顧客もゼロ。とりあえずウェブサイトとしてドメイン取って名前をつけたけど、中身をどうしようかと。メディアつくった経験者もいない、素人集団でした。それで、当時の取締役が、インテリアデザイナーで桑沢の所長もなさっていた故・内田繁さんと懇意だった縁で、僕も一緒に内田さんところへご挨拶に行きました。97年の夏です。

それで、桑沢の同窓会が「桑沢デザイン塾」という、土曜日の夕方にデザインの第一線の錚々たる方たちを講師に招いたセミナーを始めるということで、その開催レポート記事をJDNが制作して掲載することになりました。そのセミナーがスタートしてから5年ぐらい、僕はほぼ毎週土曜日の夜は渋谷にある桑沢デザイン研究所にいました。だから、グラフィックを浅葉克己さんに教わり、インテリアを内田繁さんに教わり、ほかにもキラ星のようなデザイナーの方たちの講座をずっと聞いて、それを記事にするということをさせていただいていました。メディアとしても「桑沢デザイン塾」はコンテンツの主軸であったどころか、JDNが立ち上がることのできた、ひとつの重要なコンテンツ制作の機会をいただいたと思っています。僕自身、すごくそれでデザインに詳しくなりました。もう全部のジャンルで第一線の人たちが話をする、本当にすごい学びの場で、こちらこそお礼を申し上げたい気持ちです。

高橋
根本さん、森井さん、そして山崎さん、ありがとうございました。まだまだ皆さんのご興味は尽きないと思いますが、この後、山崎さんが特別にサックスを演奏してくださるということです! その前に名児耶さん、今日この時間を共有した蔵前のみなさまへ、もうひとことお願いします。

名児耶
やっぱり、人は縁のあるもの、ですね。山崎さんには出会った時から人柄に惹かれ、いつ話していても楽しい。たくさんの話を聞いてみると、JDNをしっかりと立ち上げて、日本のデザインの柱を担ってきたひとりだったんだということが、はっきりしました。いい仕事しようが、いいもんつくろうが、伝えてくれる人がいないと結局、ゴミを生み出しているようになってしまう……。その意味で、山崎さんのような存在は大事だと実感しています。ありがとうございました。

趣味のレベルをはるかに超えた、山崎さんのサックス演奏で会場は大盛り上がり! 週末にはライブハウスに出演することも多いそうです。

会場にお越しくださったのは、蔵前を愛する経営者やデザイナーの方々。懇親会では、“寝かせ玄米“の名店として知られる蔵前の「結わえる」本店による美味しい料理を囲みながら、交流を深める時間となりました。

趣味のレベルをはるかに超えた、山崎さんのサックス演奏で会場は大盛り上がり! 週末にはライブハウスに出演することも多いそうです。

会場にお越しくださったのは、蔵前を愛する経営者やデザイナーの方々。懇親会では、“寝かせ玄米“の名店として知られる蔵前の「結わえる」本店による美味しい料理を囲みながら、交流を深める時間となりました。

Nagoya’s Opinion

Nagoya’s Opinion

名児耶秀美

アッシュコンセプト 代表取締役 / デザインプロデューサー
名児耶 秀美

武蔵野美術大学造形学部卒業、ペア・シュメルシュア(デザイナー)のもとでアシスタントを経て、㈱髙島屋宣伝部、㈱マーナ専務取締役企画室長として、経営・商品開発・プロデュース・マーケティング・デザイン戦略に携わる。2002年 アッシュコンセプトを設立。生活者とデザイナーが楽しめるモノづくりをめざし、デザイナーとのコラボレートブランド「+d (プラスディー)」をはじめ、様々な製品を発信。ジャパンブランド・地場産業振興コンサルティング等も手掛ける。2012年には直営のプロダクトショップ「KONCENT」をオープンし、現在国内外に店舗を展開している。

名児耶秀美

アッシュコンセプト
代表取締役 / デザインプロデューサー
名児耶 秀美

武蔵野美術大学造形学部卒業、ペア・シュメルシュア(デザイナー)のもとでアシスタントを経て、㈱髙島屋宣伝部、㈱マーナ専務取締役企画室長として、経営・商品開発・プロデュース・マーケティング・デザイン戦略に携わる。2002年 アッシュコンセプトを設立。生活者とデザイナーが楽しめるモノづくりをめざし、デザイナーとのコラボレートブランド「+d (プラスディー)」をはじめ、様々な製品を発信。ジャパンブランド・地場産業振興コンサルティング等も手掛ける。2012年には直営のプロダクトショップ「KONCENT」をオープンし、現在国内外に店舗を展開している。

いつもデザインイベントを歩いていると、山崎泰さんが笑顔で楽しそうに一つ一つを丁寧に観察しているのをよく見かけます。JDN=ジャパンデザインネット、という凄い名前の会社の創業メンバーで経営をされている方です。いったいどんな人物なのだろうという事で今回、ご本人の内面にまで迫る狙いをさだめてお越しいただきました。さすがです、なんとサックスまで吹いていただけるとは……。

メディアとしてのお金の創り方などを赤裸々にお話いただき、プラットフォームとしてのデザインメディアの存在を無から創り上げた軌跡を知ることができました。

その中で首尾一貫して、売上だけではなく、デザインが世の中に正しく広がっていくための畑を耕されていた存在だったということを今更ながらに知ることができました。皆それぞれデザインラヴァーの自分たちがやるべき仕事を、自分なりの考えで行動してきたことで、現在があるのだという事が理解できました。

2000年頃から、民芸・工芸とは違う「デザイン」という存在が日本でうまれて根づくまでの、さまざまな人たちの点の動きが日本のデザインとして興り、それが面となってきたことで、日本のデザインが形づくられていったことがわかる重要な存在だったのだと感じました。

日本にデザインが顕著に現れた時代の立役者の一人であり、会社です。振り返ってみると皆それぞれが日本のデザインの歴史の中に必要な存在だったのですね。

改めて、山崎さんのお心根を知り大変勉強になりました。山崎さん、ありがとうございました。

名児耶 秀美

いつもデザインイベントを歩いていると、山崎泰さんが笑顔で楽しそうに一つ一つを丁寧に観察しているのをよく見かけます。JDN=ジャパンデザインネット、という凄い名前の会社の創業メンバーで経営をされている方です。いったいどんな人物なのだろうという事で今回、ご本人の内面にまで迫る狙いをさだめてお越しいただきました。さすがです、なんとサックスまで吹いていただけるとは……。

メディアとしてのお金の創り方などを赤裸々にお話いただき、プラットフォームとしてのデザインメディアの存在を無から創り上げた軌跡を知ることができました。

その中で首尾一貫して、売上だけではなく、デザインが世の中に正しく広がっていくための畑を耕されていた存在だったということを今更ながらに知ることができました。皆それぞれデザインラヴァーの自分たちがやるべき仕事を、自分なりの考えで行動してきたことで、現在があるのだという事が理解できました。2000年頃から、民芸・工芸とは違う「デザイン」という存在が日本でうまれて根づくまでの、さまざまな人たちの点の動きが日本のデザインとして興り、それが面となってきたことで、日本のデザインが形づくられていったことがわかる重要な存在だったのだと感じました。

日本にデザインが顕著に現れた時代の立役者の一人であり、会社です。振り返ってみると皆それぞれが日本のデザインの歴史の中に必要な存在だったのですね。改めて、山崎さんのお心根を知り大変勉強になりました。山崎さん、ありがとうございました。

名児耶 秀美

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