20stories

Vol.07

安売りはしない。
若手の生意気な発言は、今も変わらぬ商売の基本。

Vol.07

安売りはしない。
若手の生意気な発言は、今も変わらぬ商売の基本。

決して褒められるような大学生活は送っていなかったが、1981年の3月、私は無事に武蔵野美術大学を卒業することとなる。就職活動を行う中で、OA機器などを扱う大手メーカーから内定をいただき、そこに就職するつもりだった。しかし卒業を間近に控えたタイミングで、前回紹介した私の師匠であり、メンターでもあったペアさんから思わぬ声がかけられる。「名児耶さん、高島屋の宣伝部に興味ない?」。内定先の面接官の方から素晴らしい社風を感じ、そこで働くことにワクワクしていたのも事実だが、『宣伝部』という響きに恋をしてしまい、同年4月より、株式会社高島屋の社員として、そこから長く続く社会人としてのキャリアをスタートさせることとなった。

配属されたのは宣伝部の空間装飾部門。『横浜高島屋』の売り場やショーウィンドウをフィールドに、装飾や企画などVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)全般を担当することになった。しかし同部署には私が入社するまで、10年近く新しい人材は配属されていなかったようで、年の近い先輩はもとより、手取り足取り指導してくれる上司もいない。そんな背景もあり、私は幼い頃から培ってきた「自分で考えて行動する」という性分を発揮させていった。実際の業務としては、来店したお客様を飽きさせないように、店舗のスタッフとディスカッションを重ねながら、売り場の見せ方に関する企画やデザイン、予算交渉、資材調達など、さまざまな工程を担当。ショッピングフロアの通路上にランウェイをつくってファッションショーをしたり、売り場全体に花を活けたりと、数々のプロジェクトを実現させた。

入社したばかりの若手社員が前例のないことを進めるにあたって、周囲の理解を得るのに時間がかかったり、伝統や格式を重んじる社員から疑問の声を持たれたりすることもあった。しかし「伝統とは変化の連続がつくるもの。時代にあった高島屋にしていくことが大切だ」と、今思うと我ながら気恥ずかしくなるほど生意気なことを言いながら、数々のチャレンジを許容してもらっている。また本来なら空間装飾部門の範囲外であるイベントポスターのデザインプロデュースなども任せてもらい、どんなことでも楽しみながら仕事に取り組めていたと思う。

名児耶秀美

貴重なスーツ姿。この頃は毎日ひげを剃っていた。当時、23歳。

その一方で、売り場のスタッフとけんかしたこともあった。それが月末になると見られる「ワゴン売りセール」である。目標売上に届かない場合に、価格を下げた安物を並べて、数字を確保するという手法だ。せっかくこちらが頭をひねりながらプランし、美しく整えた売り場を、無造作に置かれたワゴンが汚していくのは本意ではない。またそれをすることで、定価の商品を求めて来店した人の意識までが、値下げされたワゴンに向いてしまうのも許せなかった。「短期的な数字より、大切にすべきものがあるはずだ」。これまた若手社員としては生意気な物言いだったかもしれないが、私は何度も何度もそのことを訴えていた。

一度安売りをすると、顧客は値下げされるタイミングを待ってしまう。だから目先の売上確保のためだけに値下げをしてはいけない。現在もアッシュコンセプトの直営店『KONCENT(コンセント)』のスタッフに対して、口を酸っぱくして言い続けていることである。当時から一つも考え方は変わっていない。結局安売りは、商品の価値、そしてブランドの価値を下げているのと同じなのだ。

名児耶秀美

秋物の商戦に向けた店頭でのディスプレイ。イメージを「人」に特定させないことを狙い、マネキンを利用しなかった。

そんな風に高島屋での充実した時間が過ぎていった。いつも威勢のいい発言をしていた私を許してくれる懐の大きな上司たちに囲まれていたのも幸せなことだったと感じている。そうして入社から3年が過ぎた頃、「父が病気で倒れた」と家族から連絡が入った。結果的に命に関わるものではなかったのだが、病院へと見舞いに行った私は、驚くような告白を受けるのである。

Vol.08に続く

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