20stories

Vol.15

数え切れない引っ越しと、数え切れない感謝の念。

Vol.15

数え切れない引っ越しと、数え切れない感謝の念。

下町生まれの、下町育ち。自分を紹介する時に、よくそんな言い回しを使っている。人が温かく、街のいたるところに情緒や風情を感じさせてくれる下町の雰囲気が大好きだ。そしてそれは生活に限った話ではない。2002年にアッシュコンセプトを創業してから“イースト・トーキョー・エリア”と呼ばれる場所に、拠点を構え続けてきた。今回は仲間が増えることで、また別のさまざまな理由で、引っ越しを繰り返したその歴史を簡単に振り返っていきたい。

起業時に借りたのは、台東区の蔵前にある本当に小さな一室だった。確か家賃は10万円ほど。スタッフが増えるたびに、机を足していった記憶がある。数年が経ち、下の階に入っていた写真プリント業者が退去したタイミングで大家さんを訪問。交渉の末、そのフロアもとても安い賃料で貸していただいた。会社をつくってからも人に助けられてばかりである。

KONCENT コンセント アッシュコンセプト

倉庫を改装したショールーム兼ミーティングルームを外から見た様子。ガラスにはアッシュコンセプトのURLをあしらった。

倉庫を改装したショールーム兼ミーティングルームを外から見た様子。ガラスにはアッシュコンセプトのURLをあしらった。

さらにスタッフは増え、どう工夫しても手狭になったので、2006年に同じ台東区の浅草橋へと移った。借りたのはとあるオフィスビルの8階のフロア。数年後には同じビルの1階にある駐車場に併設された倉庫のようなスペースも借りた。そこをきれいに整理し、外からも見えるようにガラス張りにすることでうまれたのが、簡易なショールーム兼ミーティングルームである。自分たちでデザインしたものは、その見せ方も自分たちでデザインしたい。そんな思いで、非常に小さい空間ながら自由に商品を見せられる場所が出来上がった。その後もスタッフが増えたため、後に同じビルの2階も借りている。

そこから数年が経ち、2012年に創業の地である蔵前に戻ってきた。2010年代後半、都内の人気スポットとして蔵前がフォーカスされるブームがあったが、我々が移り住んだのはその数年前。まだ街に人が全然いない時期だった。目をつけたのは都営浅草線の蔵前駅を出てすぐのビル。“街の顔”となるような好立地の物件だった。「蔵前という場所の“受付”となり、この街を盛り上げる」。そんな大義名分を掲げ、またも大家さんに交渉。ここも安く貸していただいた。感謝したい人が数え切れないほどに思い浮かんでくる。

実は同じタイミングで、現在は役員を務める中森大貴から「小売店をやりたい」という要望が上がっていた。チャレンジしたいという思いがあるのであれば、できる限りその機会を与えるべき。そう考えていた私は、彼に運営を任せる形で小売店をつくることにした。そうして出来上がったのが、現在は国内外に店舗を構える『KONCENT(コンセント)』の1号店である。吹き抜けのある1階が店舗で、2階と4階がオフィス。その状態で数年が過ぎ、ありがたいことに“蔵前の顔”として、多くのファンやメディアの方々に足を運んでいただいた。今でも「アッシュコンセプト、そしてKONCENTといえば蔵前」とイメージしてくれる人も多く、それも誇らしい。

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オフィス1階のKONCENT 蔵前本店。パーティーや社内イベントなどでもよく使用した。

オフィス1階のKONCENT 蔵前本店。パーティーや社内イベントなどでもよく使用した。

その後、老朽化によってビルが解体されることが決まり、我々の元にも退去命令が届いた。それを理由に、2年前の2020年にオフィスと『KONCENT』の両方を浅草の駒形に移し、現在に至っている。駒形の地で再始動した『KONCENT駒形本店』は、新型コロナウイルスの影響によって大打撃をくらったが、今も旗艦店として運営を続け、多くの人との出会いを待っている。くじけることなく前を向く店舗のスタッフたちにも感謝したい。

振り返ってみると、改めて「引っ越してばかり」という印象だ。しかしそれはアッシュコンセプトの理念に共感し、集まってくれた仲間が増え続けている証拠であるとポジティブに捉えている。実は1年後の2023年には、また次の場所への引っ越しを予定しているが、まだここでは詳細を伏せ、“匂わせ”程度で終わっておこう。

Vol.16に続く

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