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Vol.11

ひとりきりでの再スタート。
人に恵まれ、すぐに増えた仲間たち。

Vol.11

ひとりきりでの再スタート。人に恵まれ、すぐに増えた仲間たち。

前回お伝えした通り、2002年2月に登記を済ませ、同年4月よりアッシュコンセプト株式会社は事業をスタートさせた。しかしこれも繰り返しになるが、メーカーであるにも関わらず、売る商品を何ひとつ持たない状態。1年ほどは自分の報酬はとらず、貯金を食いつぶすしかないと覚悟を決めていた。「1年後くらいには、ひとつ目の商品を……」それくらいの感覚を持っていたと記憶している。

創業と時を同じくして、前職から親交のあったとある知人と話す機会が訪れる。その相手に対して私は「デザイナーにフィーチャーしたブランドをつくりたい」という会社設立の理由や今後の展望を話した。すると彼は私の構想に強く共感し「ぜひ一緒にやりたい」と申し出てくれた。ここでは彼を「A」としておこう。ほどなくしてAはアッシュコンセプトのメンバーとして働くこととなる。

当時Aが勤めていたのは、主に輸入業を行う会社。実はそこの社長も、私とは旧知の仲だった。A本人の意思があるとはいえ、知り合いの会社からスタッフを引き抜く形になってしまうのを憂慮した私は、筋を通すべく、酒の席をもうけ「自分の会社でAを雇わせてもらえないか?」と正直に話をした。その相手の名前は、菅野友博。後に彼もアッシュコンセプトのメンバーとなり、その後20年にわたって私の相棒として、また会社の役員として活躍し、苦楽を共にしてくれた仲間である。年齢は私の2歳上。財務や経理といった能力に長け、また経営という観点で言っても私より経験があった。

その日、朝まで菅野と酒を酌み交わす中で感じたことが2つある。まずひとつ目は、彼は心から信用できる人物だという確信。そしてもうひとつは私の主観だが、クライアント自身がエージェントなどを介さずに直接輸入に手を出してきているという時代的な背景もあり、もしかしたら菅野の主力事業である輸入業の立ち行きが難しい時期が来ているのでは? という疑念である。

そう感じた私は、思い切って「Aだけでなく、菅野さんも一緒にやりましょう!」と打診をしてみた。その場では「一度、じっくり考えさせてほしい」と返されたものの、しばらくしてから「自分の会社はたたむ。合流して一緒に頑張ろう」と快諾の返事をいただいたのである。私がひとりで漕ぎ始めたアッシュコンセプトという船は、港を出てすぐに仲間を増やすこととなった。

名児耶秀美と菅野友博

菅野(写真左)との近影。20年にわたり苦楽を共にし、現在も顧問としてアッシュコンセプトを支える。

菅野と合流したことで、彼が行なっていた輸入業もアッシュコンセプトが引き継ぐことになり、そのおかげで無給を覚悟していた初年度から1億ほどの売り上げを確保できた。こう振り返ると、自分ひとりだけで目的地へと向かっていたら、まるで鬼退治に向かう桃太郎のように道の向こうから仲間が現れてくれて、私の考えに賛同することで、自然と同志が増えていった感覚だ。とにかく人に恵まれた人生。そう感じざるを得ない。

ちなみにAは2010年までともに働いた後、アッシュコンセプトを退社し独立。また菅野は専務取締役として2020年まで勤めあげ、そこからは顧問として、今なお力強く経営をサポートしてくれている。さらに前職からの親友・デザイナーの八幡純二氏も、会社の設立当時より重要な役割を担うスタッフとして今日まで力を貸してくれている存在となった。

こうして想定していたより早めにある程度の資金を確保できた私は、それをもとにして、同時期にデザイナーにフィーチャーしたブランド『+d(プラスディー)』を立ち上げ、記念すべき第一号商品にして、ブランドが持つ哲学を見事に具現化した“傑作”と呼べるプロダクトの開発を進めていくのである。

Vol.12に続く

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