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Vol.18

会社の歴史。それは人との出会い、
そして育まれた絆の歴史である。

Vol.18

会社の歴史。それは人との出会い、そして育まれた絆の歴史である。

幼少期から学生時代、そして高島屋、マーナと社会人経験を積む中で、とにかく人に恵まれ、人に支えられてここまでやってきたと思っている。「デザインはチームプレー」。スタッフたちにもずっと伝え続けている大切な考え方だ。多くの人たちとの出会いがなければ、今の私はなく、当然アッシュコンセプトもないだろう。今回はスペースの都合上、数は限られるが、アッシュコンセプトをつくる上で重要なキーパーソンとなった方々を改めて何人か挙げていきたい。

最初に思いつくのは、前職(マーナ)時代の私に独立のきっかけを与えてくれて、背中を押してくれた『日経デザイン』の編集者だった下川一哉氏だ。「デザイナーにフィーチャーしたブランドをつくりたい」という私の思いに強く共感してくださり、誌面にて大きく取り上げてくれたことはすでに過去の回で語った通り。アッシュコンセプトを立ち上げた後も、たびたび取材を行ってもらい、各所で記事を書いていただいた。日経BP社を退職され『意と匠研究所』という会社の代表を務める今も、アッシュコンセプトが主催するデザインコンペティションで進行役を務めていただくなど、つながりは続いている。

ともに仕事をしてきた+d(プラスディー)のデザイナーをピックアップするのは至難の業である。なぜなら紹介したい人、思い返されるエピソード、大切な思い出があまりに多すぎるからだ。それでもあえて名前を出すのであれば、アッシュコンセプトの黎明期にデザイナーとのあるべき関係性を気づかせてくれたパスキーデザインのおふたりと浅野泰弘氏になるだろうか。彼らと仕事を進める中で改めて心に刻み込んだことは非常に多く、それが今へとつながる会社の根幹となっていることも、この連載で紹介済みである。

その他にも、創業時からアッシュコンセプトを支え続けてくれた顧問の菅野や、前職からずっと一緒に仕事をしているデザイナーの八幡純二氏、あとはこの連載の前々回で登場したメッセフランクフルトジャパンの梶原社長……と、考えれば考えるほど、枚挙にいとまがない。ここではこの辺りにしておこうと思う。

+d デザイナー

創業以来、+dの製品を共につくりあげてきた総勢119名のデザイナーたち。

簡単にスタッフにも触れておきたい。2022年時点で社員の数は約50名。その中で私以外に3名が役員を務めている。ひとり目は中森大貴。直営店舗『KONCENT(コンセント)』をつくるきっかけを与えてくれた人物であることは、この連載でお伝えした通りだ。その後はオンラインも含めた小売に関わる事業の中心として腕を振るってくれている。物腰は柔らかいが、自らの発言に責任を持ち、実店舗の運営という新しい挑戦を任され、プレッシャーもある中で、それをやり抜いた芯の強く信頼のおける人物だ。

次に砂口あや。彼女の存在なくして、現在のアッシュコンセプトは語れない。前述の八幡純二氏が東京藝術大学で講師をしている時に「名児耶さん、いま学校に面白い生徒がいるよ」と紹介してくれたのが出会いのきっかけ。アルバイトとしてアッシュコンセプトで働く彼女を見て、私はすぐにその類まれなるデザインセンスに気づき、それが故に、きちんとした育成システムのある大手企業への就職を何度も勧めた。しかし「私はここに勤めます」と言って聞かない。結果的にそのままアッシュコンセプトの仲間となり、現在に至っている。まるで呼吸するようにデザインをする。彼女を表現するならば、そんな言葉だろうか。「デザインをしている」という意識すら持たず、それに向き合える稀有な存在だ。彼女は現在、デザインコンサルティング事業を中心にその実力を存分に発揮し、私の片腕としてスタッフを牽引すると同時に、会社に多大なる成果をもたらしてくれている。

アッシュコンセプト役員

アッシュコンセプトの役員・顧問を務める4名と。左上から役員・中森大貴、名児耶海、砂口あや。名児耶の右隣が顧問・菅野友博。

そして3人目の役員が名児耶海。名字で分かるように、私の長男である。次回、彼を含む私の家族を紹介して、その上で大団円へと進めていきたい。

Vol.19へ続く

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