20stories

Vol.19

上下関係はなし。妻と息子は仕事と
プライベートの両方で関わる仲間。

Vol.19

上下関係はなし。妻と息子は仕事とプライベートの両方で関わる仲間。

前回の終わりに書いた通り、ここで自分の家族に触れた上で、フィナーレへと向かいたい。妻の久美子とは武蔵野美術大学のスキー部で出会った。学生の時に交際をスタート、高島屋在籍時に結婚をして、約40年が経ち、現在に至っている。「大好きな人ができたら、青い便箋と封筒で手紙を書く」と私に語り、実際に青い手紙をもらったという、淡く甘酸っぱい記憶も非常に鮮明に覚えていて、つい最近のことのようだ。

会社を設立した20年前。まだまだ経営が安定しない中で、彼女は私の手伝いをすべく簿記の勉強を始め、慣れない数字と向き合いながら孤軍奮闘してくれた。しかし少し頑張りすぎたのか体調を崩し、3ヶ月にも及ぶ入院をさせてしまったこともある。今では私のいちばんのゴルフ仲間であり、同時に我々の商品に対してもっとも率直で、またもっとも厳しい意見をくれるモニターとなっている。

久美子との間には2人の男の子を授かった。先に紹介するのは次男の洋(ひろ)。野球少年だった彼は、私の血を引いたのか勉強はあまり好きではなかったようだ。そのせいもあったのか、志望していた野球の強豪校への受験に失敗し、その道を諦めている。大学では映像を専門に学び、卒業後は広告系の制作会社に勤め、さらに写真家の蜷川実花氏のアシスタントを経て独立。今はフリーランスのカメラマンとして活動し、毎週1回、弊社にも商品や広報物などの撮影を手伝いに来てくれている。

そしてもう一人がアッシュコンセプトの役員を務める長男の海(かい)である。前職(マーナ)で子ども向け商品のモデル役として活躍してくれた彼は、中学生の時に大反抗期を迎え、特に妻と激しくぶつかっていた。そんな中、家族で食事に行ったお店で、急に「ニューヨークでボイストレーニングを受けたい」と打診を受ける。突然の申し出だったが、せっかく見つけたやりたいことに親が反対する理由はひとつもない。私はすぐにニューヨークに住む友人に連絡し、夏休みを利用して1ヶ月間の留学をさせた。そして帰国すると、反抗期は見事に終わっていたのである。やりたいと思ったのなら、どんなことでも存分にやってみる。その経験が彼を変えたのだろう。

そもそも私は人との付き合いを上下関係で考えるのが苦手だ。だから家族に対しても、私からの指示ではなく、自分の意志で行動してほしいと思っている。またスタッフたちにそうしているのと同じように、2人の息子に対しても「やりたい」と思うことが見つかれば、全力で取り組むように伝え、またできる限りの協力をしてきた。ちなみに彼らに「勉強をしろ」と言ったり、自分の跡を継がせようとしたりしたことはない。

海は大学卒業を控えた時期に「アッシュコンセプトに入りたい」と言ってきた。しかし実力も経験もない人材を雇うほど余裕のある組織ではない。その場では「とりあえず3年は他の企業で勉強してきなさい。それでもまだ入りたかったら、もう1度言ってくれ」と伝えた。そうして彼は、傘の老舗メーカーに就職。そこで3年ほど勤務し、再オファーを受けたので、約束通り社員として雇用し、今に至っている。

名児耶秀美 名児耶海 名児耶洋

本社程近くの駒形橋にて。アッシュコンセプトの役員として、製品開発を担う名児耶の長男・名児耶海と。

とにかく人柄がよく、みんなから好かれる性格ではあるが、優しすぎるが故に “本物の強さ”を持つには至っていない。それが誰もが認める彼の長所であり、また欠点だろう。しかしながら自分の実力で周りのスタッフたちに認めてもらえるようコツコツと努力を続け、2021年に発売した『+d(プラスディー)』から発売したセラミックコーヒーフィルター『キノメ』の開発において存分に腕を振るっている。さらに20周年に向けて進めてきた新しい経営理念の策定プロジェクトでも全体を引っ張り「これからは会社のことを『メーカーや小売、卸業』などではなく、『デザインカンパニー』として打ち出そう」と強調していた。少しずつではあるが、次のアッシュコンセプトを背負っていく自覚が備わってきたのかもしれない。

図らずも2人の息子が仕事仲間となった今。これから会社がどのように変化し、成長していくのか、少し離れた場所から見守るのも一興である。

最終回へと続く

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